
私はよく、幸せって何だろうかと考えます
一つ確かなことがあるとすれば
幸せの形は無数にあり、人それぞれ幸せの形が違うと言う事
なのでこう言う事が幸せなんだよ、と言いたいのではなく
私おひげが個人的に幸せだなーと思っていることを書いています
それに共感して貰える人がいると嬉しいな
幸せの意味

辞書で引くとこんな意味が出てきます
その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。幸福。幸い
瞬間的な感情や、長期的な物事等様々な考え方が出来ます
しかし一つ言えることは
幸せ=前向きな考え方=プラス思考
とある程度言えるのではないでしょうか?
逆に言えばマイナス思考では決して無いと言う事
と言う事はです
幸せとは個人の考え方次第だと思うのです
個人個人で多種多様な幸せがあるのだから
考え方ひとつで幸せの形も変わるのですね
幸せの形

冒頭で幸せの形は人それぞれとは言いましたが
それでも大抵の人が幸せだなと感じる形を考えてみると
- 経済的に何不自由ない生活
- 笑顔の子ども達に囲まれている生活
- 健康で何にでもチャレンジできる生活
大きく分けてこの3つに分類されるのではないでしょうか
この3つを見て、これは幸せじゃない という人はなかなか少ないと思います
でもよーく考えてみてください
これって日本人に生まれて普通の生活を送れている人は
もう既に持っている幸せの形ではないでしょうか
勿論経済的に貧しい人や、子どもに恵まれない人、体の不自由が効かない人もいるので
全ての日本人が、というわけではありません
しかし日本人の中で普通の生活を送れている人は衣服、住居、食事の不自由は余程無いと思います
- 食べたい物を自分の選択で買えて外食も出来る
- 蛇口をひねれば水が出てくる
- 夜は布団で雨風の心配なく寝れる
- 用を足しても自分で処理することは無い
- 子どもが安全で周囲にいて、話し合える環境にある
- 調べたいことがあればスマホ一つで大抵のことがわかる
- 余程お金が必要な趣味でない限り何にでもチャレンジできるetc
では何故上記の事が出来て、あー私は幸せだー!と強く思う人が少ないのでしょう
それは単純に
上記の事があたりまえになってしまっているからです
人間はあたりまえになってしまうと幸せを感じれなくなる

では何故人間はあたりまえと思ってしまうのか?
それは人類が誕生してから現代まで文明が目覚ましく発展してきた理由でもあります
要するに当たり前と思わずにその時々の現状で満足してしまっていたら
何も発展してこなかったのではないでしょうか
電球が当たり前になってLEDに変わったように
ラジオが当たり前になってTVに変わったように
固定電話が当たり前になって携帯電話に変わったように
現状に満足できなくなる=当たり前になる事によって人は文明を発展させてきた
とも言えるのではないかと私は考えます
しかしそういう思考になると
もっと便利なものが欲しい→それにはお金が必要→沢山働かないといけない
となってそれ以外の事が見えにくくなります
結果的に幸せがそこにあるのに見つけることが出来なくなり
幸せを感じられなくなっていると思うのです
幸せの見つけ方

ではどうやって幸せを見つけるのか
これはあくまで私の考え方ですが
大きな幸せを追い求めるのではなく、小さな幸せを集めて大きくしていく
これは特に難しい話ではないけれど、実践するのはすごく難しいです
私も含めて人間はやっぱり効率よく、今以上の生活をしたいと思う生き物
大きな幸せを追い求めると
- 今よりもっとお金を稼ぎたい
- 普通の車より燃費や性能が良い車に乗りたい
- 今食べているものよりも、もっと美味しいものが食べたい
誰もがこのような思考に陥りがちです
しかし上記の内容を追い求めていけばいくほど幸せは遠ざかっていきます
厳密にいえば一瞬だけ幸せになってそれがまたすぐ遠ざかります
何故ならキリが無いから
お金を稼げば稼ぐほどまたお金が欲しくなり
高価な車に乗れば乗るほど更に高級な車が欲しくなり
美味しい物を食べれば食べる程、更に美味しい物が食べたくなるんです
今年収400万の人が1000万稼ぎたいと思い
年収1000万になったら1億稼ぎたいと思うのです
いやいや、私は年収1000万稼げればそれ以上もういらないよと思う人もいるかもしれませんが
人間の欲望を甘く見たらいけません
必然的に文明が発展していくのですからそれだけ良い物が次々と出てきます
今ある物でずっと満足して生活して行けますか?
正直無理だと思います
その人の年収によって買える物は違えど
その人が使えるお金の範囲内で買うものが決まってきます
例えば年収400万なら400万なりの車を
年収1000万なら1000万なりの車を買うのです
そして良い車を乗っていれば快適で尚且つ優越感も得られます
そして現状があたりまえになり、更にもっと高級な車や物が欲しくなるのです
しかし身近にある小さな幸せを意識すると考え方が変わってきます
簡単に言えば、あたりまえを意識して幸せに変換していく
幸せの形 の項目でも書きましたが
- 食べたい物を自分の選択で買えて外食も出来る
- 蛇口をひねれば水が出てくる
- 夜は布団で雨風の心配なく寝れる
- 用を足しても自分で処理することは無い
- 子どもが安全で周囲におり話し合える環境にある
- 調べたいことがあればスマホ一つで大抵のことがわかる
- 余程お金が必要な趣味でない限り何にでもチャレンジできるetc
この様な事をあたりまえという認識から、これは幸せなんだと強く意識変換する事が大事
この考えはなかなか出来ない、と思う方はこう考えてください
上記の事が出来ない生活を想像してみてください、リアルに
現に人類が誕生してから何千年と文明が発展してきたと考えれば
つい最近と言っていい100年前にはこれが殆ど出来なかったんです
これがどれだけ凄い事なのかよく考えればわかるはずです
そして最近は東北大震災などの自然災害も多々あり
他国では年中何処かで国同士争い合っている
しかしこの影響を受けていない殆どの日本人は、とても平和で何事もない生活をしています
更なる国際状況の悪化や、地球規模の自然災害がいつ何時訪れてもおかしくない状況なのに・・・
それでも現代の日本社会は衣服、住居、食事、子ども、便利な物やサービス
探せば幾らでも小さな幸せが転がっています
今の現代、幸せを感じられない人は単純に
様々な色メガネをかけていて小さな幸せが見えないだけです
今自分が幸せだと思えない(あたりまえの生活をしている)人は、
身の回りの日常生活が崩れた時に後悔するほど思い出すことでしょう
例えば
- ギャンブルや身に余る買い物をして借金をしてしまった時
- 病気になって食べたい物が食べれなくなった時
- 家族を含め、お世話をしてくれた方々が居なくなった時
- 子どもがいなくなった時
あたりまえの生活を送っていた時には気付かなかった幸せ
あの時はなんて幸せだったのだろうと
- なんでよく考えずお金を使ってしまったのだろう
- なんで健康に気を付けずに酷い食生活を送ってきたのだろう
- なんで家族を顧みずに自分のやりたいように生きてきたのだろう
- なんで子どもとのかけがえのない時間を一緒に楽しんでこなかったのだろう
でも今からでも大丈夫です
これを見ているあなたはまだ生きています
生きてさえいれば死ぬまでにいくらでも小さな幸せを見つけることが出来るはず
そして最後に、幸せとは感謝をすることと同じです
当たり前と思わなければ自然と感謝の言葉や態度に現れます
それを見た相手は同じく幸せな気持ちになる事でしょう
そしてお互いが感謝を忘れず関係を続けることが出来れば信頼が生まれます
その輪をもっと広げることが出来れば今より間違いなく幸せを感じられるはずです
私が思う生きる意味とは
幸せの集大成を想いながら最後の時を迎えられるかだと思っています
これを見てくれた方が感謝を決して忘れず、小さな幸せを沢山見つけられますように・・・
最後まで見てくれた全ての人に、ありがとう!
ではまた!
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